松阪証券 社長日記
企業人として、三重県で生業を営む者として、日々の発見、気づきなどを気まぐれに書きとめて行きます。
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吉田松陰生誕の地、そして活躍の舞台 「萩」をたずねて
当ブログでお伝えしていますが、週末(9月1日・2日で福岡・萩)、吉田松陰生誕の地であり、その活躍の舞台である山口県の「萩」を訪問してきました。事前勉強にと、少々関連する書籍を読んでいたからでしょうか。明治維新へと歴史の扉いた「松下村塾」のある松陰神社の鳥居を目の前にしたとき、男だてらに涙ぐむ失態は曝さなかったものの、言葉ではなんとも表現しがたい、熱い思いがが胸にこみ上げできました。小生、これまで旅に出かけてこのような気持ちになったことがありません。そういう意味でも、非常に充実した旅になったといえます。

さて、簡単にその道程をご紹介します。まず1日にセントレア(名古屋国際空港)から空路福岡へ。翌2日早朝、博多から新幹線で新山口駅。新山口駅からバスで東萩駅へ。まさしく、超ハードスケジュールです。ここで、本日のご講義をお願いしていました松田輝夫先生にご挨拶しました。松田輝夫先生は今年で御歳82歳。萩市を中心に小中学校校長などを歴任され、現在は萩市観光ボランティアを務めていらっしゃいます。萩市における吉田松陰研究の第一人者であり、吉田松陰の生き様を世に伝えることに情熱を燃やしていらっしゃるとのこと。82歳とは思えないほどお元気なのは、やはりその情熱と志のせいでしょうか。

まずは、伊藤利助(博文)旧宅へ。隣には品川から移築された別邸、立像もありました。あくまでも脇役ですので話はそこそこに、吉田松陰生家跡へ。

松陰生家跡


萩の東方、団子岩という小高い山の麓にあり、萩城下と萩の町並みを一望することが出来ます。吉田松陰は19歳(生涯の3分の2)までこの景観を朝な夕な眺めていたわけであり、まさに聖地といえます。中央やや右に位置する指月山の左側山麓に萩城天守閣があったそうです。写真ではわかりにくいのですが、そのすぐ向こう側は日本海です。

松陰生家より萩城下指月山を望む


萩城下を背に、左前方には吉田松陰などの墓碑が立ち並んでいます。ご存知の方も多いと思いますが、墓碑には吉田松陰が好んで使った「二十一回猛士」が墓碑銘として刻まれています。下の写真は吉田松陰の墓碑と、お世話になりました松田輝夫先生です。

松田先生と松陰墓碑


小生たちが松田輝夫先生の現場での講義をお聞きしている間も、数人の方が吉田松陰の墓前に手を合わせていらっしゃいました。20歳前後の若者の姿もあり、少しうれしい気分になりました。そして、その右後方には、まるで吉田松陰の墓碑を守り、付き従うかのごとく、高杉晋作の墓碑が建てられています。

憧れの高杉晋作墓碑


さて、次はいよいよ明治維新の起点となった「松下村塾」がある松陰神社です。まずは、社務所の一室をお借りし、松田輝夫先生のご講義をお聞きしました。例によって、昨夜は博多で少々羽目をはずしたわけですが、睡魔に襲われることもなく、「松下村塾」の教育、吉田松陰の考え方について、一層理解を深めることが出来ました。バブル前までは、政治家や公務員が多数来訪していたそうですが、現在では民間企業の経営者や幹部が増えているとのこと。吉田松陰の教えを、経営に生かすのが狙いのようです。小生たち浅学の者にもわかりやすく、平易な言葉でご説明いただいたことに感謝します。中高生の子を持つ父として、教育者である松田先生が吉田松陰の言葉である「学は、人たる所以を学ぶなり」と力をこめておっしゃったことが、非常に心に残りました。「勉強しろ」といっても子供たちはなかなか勉強しません。人間の素晴らしさを学び、人間はいかにあるべきか、いかに生きるべきかを求め、目指す人間像を確立していく。それこそが「学び」であり、吉田松陰の教えなのです。

社務所前には、吉田松陰の句碑が建っています。これは、安政の大獄で処刑される一週間前に、父母、その他家族へのお別れの手紙である「永訣の書」に記された歌です。

松陰歌碑「親おもふ…」
「親思ふ こころにまさる親ごころ けふの音づれ 何ときくらん」
父母のことを心配している私の心より、私を心配してくださる父母の心のほうがはるかにまさっている。今日の便りをどんな思いでお聞きになっているのであろうか。

いよいよ「松下村塾」へ。小生ごときが多くを語る必要はありませんが、まさにこの場所から、明治維新が胎動したといっても過言ではないでしょう。ですから、我々の生きる現在の日本は、吉田松陰と、この「松下村塾」がなければまったく異質なものになっていたかもしれません。

松下村塾


講義室側より
松下村塾2


講義室内
松下村塾講義室内


先ほども少し触れましたが、松田輝夫先生は82歳でご高齢ですが、精神的にも肉体的にも非常にお元気です。やはり、それは熱き情熱と、崇高な志を持ち続けていらっしゃるからだと思います。旅を終えるに当たり、一つの結論に達したような気がします。現在でも山口県が良きリーダーや教育者を排出することが少なくないのは、本州最西端に追いやられた毛利家の歴史や、吉田松陰が塾生に残した「死して不朽の志」、その「志」を行動にした高杉晋作や久坂玄瑞、「志(明治維新)」を実現した伊藤利助(博文)などの影響を色濃く残しているからではないでしょうか。

タクシーの運転手さんとの何気ない会話の中の一言に気づき、質問してみました。「萩市の皆さんは、今でも吉田松陰のことを松陰先生と呼ぶのですか」。運転手さんは誇らしげに、そしてきっぱりと「藩主のことは毛利と呼び捨てにしても、吉田松陰のことは、松陰先生と言います」と。やはり、「松陰先生」が高杉晋作に残した言葉通り、その「志」は今も不朽のようです。

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プロフィール

証券人(しょうけんびと)

Author:証券人(しょうけんびと)
約13年間の大和証券勤務を経て、1998年1月松阪証券に入社
2006年4月代表取締役社長就任
現在に至る



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