松阪証券 社長日記
企業人として、三重県で生業を営む者として、日々の発見、気づきなどを気まぐれに書きとめて行きます。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

山中正竹さんが、松阪に来ました
先週末、知る人ぞ知る、野球ファンなら誰でも知っている、東京六大学リーグ最多勝記録(48勝)保持者、山中正竹氏のお話を聴くことが出来ました。山中正竹しについて少々…

山中正竹氏は大分県出身。大分県立佐伯鶴城高等学校を卒業後、法政大学に進学し1年次よりエースピッチャーとして活躍。一年先輩の田淵幸一、山本浩司、富田勝ら「法大三羽ガラス」と共に、東京六大学リーグにおける法政大学の黄金時代を形成する大きな原動力となりました。在学4年間で残した通算48勝は、六大学リーグの最多勝記録であり、歴代2位は同じ法政大学の後輩、江川卓の47勝です。

大学卒業後は住友金属工業に入社し、野球部の中心選手として活躍。1980年に現役を引退し、翌1981年から住友金属の監督に就任。また、ソウルオリンピック(1988年)では日本代表コーチとして、バルセロナオリンピック(1992年)では日本代表監督として、二度のメダル獲得に大きく貢献しています。

1994年に母校法政大学の監督に就任。退任する2002年までの間に、六大学リーグに7度、全日本大学野球選手権大会に1度優勝(1995年)するなど、指導者としても法政黄金時代を築き上げました。

2004年、横浜ベイスターズの専務取締役に就任。2006年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の技術委員を務めましたが、2007年プロ野球ドラフト会議にまつわる球団内の一連の問題の責任を取り、専務から常務に降格。2009年で球団の方針により横浜ベイスターズ常務取締役を退任、そのまま退団し、現在は母校法政大学の特任教授です。

少人数の懇談会形式でお話をお聞きすることが出来たため、まずは名刺交換から。もちろん初対面ですが、印象は「六大学の大投手は、こんなに小さい人だったの?」という感じ。身長は、170cmに満たないそうです。しかし、無駄な贅肉はないながら、骨格はがっしりしているご様子。スーツを着用されていたので、小生の勝手な想像ですが…

前置きがかなり長くなってしまいました。懇談会の演題は「私の野球監督論」です。山中氏によると、戦後の日本の野球界は、選手の技術、トレーニング方法、メンタリティの面など、飛躍的に進歩してきましたが、最も遅れているのが「監督」だとのこと。よく言われていることですが、名選手が必ずしも名監督とはならないとも。

また、その説明のために興味深い例をあげ、説明いただきました。まずは監督の服装。オリンピックの球技は26~27種目ありますが、監督が選手と同じユニホームを着用する競技は野球だけだそうです。これは、野球の監督が選手と同等に、勝敗を決める重要な戦力だということの証だそうです。特に1点差、2点差の試合ではその重要度が高まると、強調されていました。

また、アテネオリンピック直前に長嶋監督が病気で倒れたとき、監督をどうするか問題になりました。結局病床にある長嶋監督のままで試合に臨んだわけですが、このオリンピックで日本はオーストラリアに0対1で敗れました。山中氏によると、これこそまさしく日本の遅れた監督論だと。もちろん山中氏は、監督を長嶋氏以外の誰かに変更し戦うべきだと主張しましたが、聞き入れられなかったそうです。また、これはサッカーで言うなら11人対6~7人で戦ったようなものだともおっしゃっていました。

米国などでは、遅れた日本とは異なり、「リーダーシップとしっかりした野球理論があれば、選手としての実績は不要」というのが既に主流となっています。実際に、MLBの30球団中20球団の監督は、日本で監督になれない(選手としての実績はないけれど、監督としての適性の高い)監督だそうです。

今の監督の顔ぶれを思い浮かべてみると、日本のプロ野球はまだまだですね。しかし考え方を変えれば、日本のプロ野球はまだまだ進化する、伸びしろがあるということでしょうか… 一野球ファンとして、大いに考えさせられる懇談会でした。

そうそう、地元紙の記者さんも懇談会に出席していたので、記念撮影してもらいました。ファイルが入手できたら、ブログで公開します。単なる自己満足ですが…

スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
http://matsusaka.blog111.fc2.com/tb.php/281-8108a830
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

証券人(しょうけんびと)

Author:証券人(しょうけんびと)
約13年間の大和証券勤務を経て、1998年1月松阪証券に入社
2006年4月代表取締役社長就任
現在に至る



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。