松阪証券 社長日記
企業人として、三重県で生業を営む者として、日々の発見、気づきなどを気まぐれに書きとめて行きます。
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吉田松陰の「留魂録」
先日もお伝えしましたが、9月1日~2日、同年代の仲間と福岡、萩(山口県)に出かけ、吉田松陰ゆかりの地、萩の松下村塾を訪ねます

そこで先日、中学生の娘がお世話になっている大学教授(山口県のご出身です)にその話をしたところ、「宿題」ではありませんが、タイトルの「留魂録」の本文を複写してプレゼントしていただきました。やはり山口県のご出身ですので、吉田松陰や高杉晋作、伊藤利助(博文)など幕末の志士についての思い入れは、他県民とは一味違う深さがあるのかもしれません。

さて、困ったことになりました。本文を手渡された小生は呆然。これは漢文というのでしょうか。5,000文字程度とはいえ、学生時代の記憶をたどっても、読破することは出来るわけがありません。「読み」は出来たとしても、意味を理解することは至難の技でしょう。本当の勉強とは「漢文」を一から学び直すことなのですが、もちろん小生は安易な方法へ逃れる選択をしました。

留魂録


画像の「留魂録」は、原文の写真がわずかに掲載されているだけです。中心は本文の「読み」と「現代語訳」であり、小生の狙い通り非常に読みやすい内容でした。前後には、解題と松陰史伝が配置されており、「留魂録」に限定せず、吉田松陰の「人となり」を幅広く学ぶことが出来ます。

「留魂録」は、自身が冒頭で歌っている「身はたとひ武蔵野の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂」から付けられた名前でしょうか。衝撃的な序章です。先日、司馬遼太郎の「世に棲む日日」を読み終えたばかりだったので、特に心に残ったのはその「死生観」について語られている第8章でした。「今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり」で始まる「留魂録」の白眉をなす部分かもしれません。吉田松陰はかつて、松下村塾の門下生高杉晋作から、「男子の死すべきところは」と質問されたとき、明確な答えをしないままだったそうです。しかし、死に直面して高杉晋作に手紙を書き、こう答えたそうです。

「君は問う、男子の死ぬべきところはどこかと。私も昨年の冬投獄されていらいこのことを考え続けてきたが、死についてついに発見した。死は好むものではなく、また憎むべきでもない。世の中には生きながらえながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげるみこみあらば、いつまでも生きたらよいのである。つまり私の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、要するになすべきをなす心構えこそが大切なのだ。」

後の総理大臣、伊藤利助(博文)は、高杉晋作のことを「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と評しました。まさに神出鬼没です。一方、自分が動くべき時期ではないと判断すると、追手からの難を逃れるために逃げまどい、諸国を渡り歩いた時期もあったようです。この高杉晋作の生き様、そして死に様は、まさに吉田松陰の言う「生死を度外視して、要するになすべきをなす心構え」だったと思うのですが、いかがでしょうか。

小生、幕末の志士たちにはいつも圧倒され、自身の未熟さを実感させられます。またまた、反省です。

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プロフィール

証券人(しょうけんびと)

Author:証券人(しょうけんびと)
約13年間の大和証券勤務を経て、1998年1月松阪証券に入社
2006年4月代表取締役社長就任
現在に至る



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