松阪証券 社長日記
企業人として、三重県で生業を営む者として、日々の発見、気づきなどを気まぐれに書きとめて行きます。
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寺院とゴルフ これは正に都市伝説です!
皆さんは、大谷光明(おおたにこうみょう)という方をご存じでしょうか。言わずと知れた名門コース、現存する東京ゴルフ倶楽部(秩父)、名古屋ゴルフ倶楽部和合コース、川奈ゴルフ大島コースなどを設計したのは、この大谷光明氏であり、生涯で15コースの設計を手掛けました。ご当地、東海地方で開場年が最も古いのが川奈ゴルフ大島コースで1928年昭和3年。第二位が名古屋ゴルフ倶楽部和合コースで1929年昭和4年ですので、まさに日本のゴルフ草創期の設計者です。

さてさて、本題はここから。皆さん驚くことなかれ、この設計者大谷光明氏は1885年明治18年、西本願寺門主、大谷光尊(こうそん)の三男として誕生します。1907年、光明22歳のとき、2年間イギリスに留学、ゴルフを覚え、たちまちこの興味が尽きないゲームの虜になります。一度のめりこんでしまうと、寝ても覚めても脳裏から離れなくなるのがこのゲーム。帰国してからの光明は、まさにゴルフ熱にうなされる毎日だったそうです。180センチに近い長身を一杯に使って、まるで外国人のように飛ばしたといわれ、当時の日本人には珍しく、アップライトなスウィングで高い球を打ち、中年をすぎてもロングホールのツーオンをやってのけるほどの飛距離があったとか。1907年日本アマが始まると常に上位に顔を出し、我が国ゴルフ発祥の地神戸ゴルフ倶楽部で行われた1922年には、C・オズボーンとプレーオフの末に優勝しています。寺院とゴルフ、この不思議な取り合わせは、光明がアマの頂点に立ったことで日本中の評判になったそうです。

話はまだまだ続きます。正に都市伝説、いやいや、伝説などと言った架空の話ではありません。一般にはほとんど知られていない事実が、そこには隠されていたのです。

百華園
隠されていた場所は、皆様よくご存じの西本願寺境内、世界文化遺産、指定区域内、北西の角にある百華園(ひゃっかえん)と言う名の庭園です。その名の通り、四季折々に花が咲き乱れる「百華園」。園内の池の周囲は濃い緑に包まれており、その向うに平らな芝生の庭が広がっていたとか。実はこの芝が曲者。近づいてみるときれいに刈り揃えてあって、なんと中央にはカップが切られていたというのです。物陰から本物のピンが登場しカップに差し込まれると、それまでの美しい庭園が一転してグリーンに変貌、難易度の高いゴルフコースが誕生するという仕組みだったそうです。光明の長男であり西本願寺門主も務めた門前さんこと大谷光照(こうしょう)氏によると、9ホールでパー「27」。 かつて故杉原輝雄プロもここでプレーしたことがあり、六甲より難しいとつぶやき、パープレーは出来なかったとか。

夏坂健さんという作家は、著書「ゴルフ・プレー前夜に読むクスリ」なのかで、実際のプレー体験記を記述していますので、紹介しておきます。

「ウェッジ一本を持って、西本願寺カントリークラブをスタートしたが、いやはや、そのレイアウトの巧みさには舌を巻いた。 茂み、木立ち、蹲(つくばい)などの各所に、庭園を散歩する人の目からそれとわからないようにティグラウンドが設置され、マットが固定してあった。短いアイアンを振る空間しかない上に、すぐ目の前に枝や葉が迫って、プレッシャーは強烈である。一番長いところで80ヤードぐらいだろうか。 9ホールのうち7ホールまでが池越えのショットになる。(中略)日本のゴルフのルーツをたどっていくと、やがて西本願寺に行きつくことをつくづく思い知らされた愉快なラウンドであった。」

嘘のような本当の話、今度京都にお出かけの際は、ぜひ西本願寺にもお立ち寄りいただきますよう、と言いたいところですが、この百華園、残念ながら現在は非公開のようです。西本願寺ご参拝の機会がありましたら、寺院の庭園、百華園がどのようにして9ホールのゴルフコースに変貌したのか、想像力を豊かにして、思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。


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入れ墨騒動
何かと話題の絶えない橋下徹大阪市長周辺。お次は大阪市市職員の入れ墨騒動。大阪市は16日、教育委員会を除く全職員約3万3千人を対象に実施した入れ墨の有無を尋ねる調査で、110人が入れ墨をしていたとの調査結果を発表しました。

大阪市の市職員が入れ墨をしている確率は0.333…%、つまり千人に3人強と言うことになります。流石にこの中に、桜吹雪や鯉の滝登りと言った伝統的(?)な入れ墨をしている人はいないと思いますが、「そんなにいるのか…」と言うのが小生の感想です。旅館やゴルフ、スーパー銭湯などの大浴場でも、若者が腕や足くびにファッションで「タトゥー」を入れているのをちょくちょく見かけます。小生ぐらいの年代では羨ましいなどと思うことは決してありませんし、むしろ「あーあー、後で後悔するぞ」とやや批判的に、むしろ同情的に眺めています。

入れ墨と言えば何となくいかがわしい印象が強いのですが、恐らく若者にとってそれはあくまでも「タトゥー」、自己表現であり、ファッションとして入れたものでしょう。しかしながら、ここは日本。タトゥーも入れ墨であり、入れ墨はいかがわしい、反社会的な印象がどうしても付きまとってしまうものです。現実的にも日本の世情は「タトゥー」に対して肯定的ではありません。報道によると、最近の美容外科にはこんな相談があるとか… 警察官や消防士などの公的な職に就きたい若者が、勢いで入れてしまった「タトゥー」を消してほしいと来院する、そんなケースがどんどん増えてきているそうです。

amuro
一方、テレビを見ていますと、日本人を含む芸能人や外国人格闘家が、いかにもファッションの先端を行く、または対戦相手を威圧するような攻撃的な「タトゥー」を入れている場面をちょくちょく見かけます。そんな画像を日常的に目にする若者が、同じような「タトゥー」を入れたいと考えるのは、あまり不自然なことではありません。これもまたある意味日本の世情ですから、勢い余って「タトゥー」を入れてしまった若者がかわいそうな気もします。
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現代の若者と言えば、小生も20歳前後の子3人の親です。親の立場で考えると、つまり自分の子供たちには「タトゥー」は入れさせたくありません。理由はやはり、後で後悔することにならないように。さてさて、今後も物議を醸しそうな大阪市入れ墨騒動。果たしてその行方は? しばらくは目が離せません!


太宰府天満宮に行ってきました
4月27日(金)、福岡出張のついでに太宰府天満宮に行ってきました。

皆様よくご存じだと思いますが、太宰府天満宮は福岡県太宰府市にある神社です。菅原道真(いわゆる菅公)を祭神として祀る天満宮の一つです。初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上の参詣者があるとか。現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されています。

右大臣であった菅原道真は西暦901年、左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に権帥として左遷され、903年に同地で薨去しました。薨後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、同寺の境内に廟を建立、天原山庿院安楽寺と号したそうです。一方都では、疫病や異常気象など不吉な事が続き、これを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、社号としての「天満宮」も併用されたとのこと。

まずは表参道から… 当日は天候も良く4月とは思えないような初夏の陽気で、上着を着ていると汗ばむほどでした。
参道

参道の画像ではよくわかりませんが、平日の昼間だと言うのにそこそこの人出です。西鉄福岡駅からの電車も満席状態。流石学問の神様、修学旅行か、はたまた社会見学か… 境内は学生さんたちでいっぱいです。
門

楼門をくぐると本殿へ。昭和25年(1950年)文化財保護法施行と同時に重要文化財に指定されました。
本殿

本殿では、時期的に入学祈願成就のお礼でしょうか、ありがたい神事が執り行われておりました。
おはらい

菅原道真公は言わずと知れた「学問の神様」です。それでは小生もと、大学生の愚息二人と愛娘一人にお守りを購入し、お土産としました。

帰りは再び表参道へ。太宰府天満宮での御神酒は梅酒です。また参道には名物「梅ヶ枝餅(うめがえもち)」と呼ばれる餡入りの焼き餅を販売している店が並びます。価格は均一で全店一個105円也。量や味、製法なども全く一緒なのでしょうか… 抜駆け禁止!一種の価格協定が結ばれているようです。ともあれ、上品な甘さの餡子とわずかに焼き目がついたお餅の香ばしさが大変おいしゅうございました。
梅が枝餅




プロフィール

証券人(しょうけんびと)

Author:証券人(しょうけんびと)
約13年間の大和証券勤務を経て、1998年1月松阪証券に入社
2006年4月代表取締役社長就任
現在に至る



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