松阪証券 社長日記
企業人として、三重県で生業を営む者として、日々の発見、気づきなどを気まぐれに書きとめて行きます。
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近江商人「商売の十訓」
近江商人と言えば「三方良し」。みなさん良くご存知だとは思いますが、三方とは「売り手」「買い手」「世間」のことで、「売り手良し、買い手良し、世間良し」とも言われます。商売をやるからには、儲からなければ意味がありませんが、そのためには「買い手」であるお客様に喜んでもらわなければ商売そのものは成立しません。ここまではごく当たり前。近江商人の商売哲学にはこれに「世間良し」が加わって「三方良し」となります。近江商人のビジネススタイルを色々調べてみますと、本拠は近江に置きながら、活動領域は全国各地に及び、支店や枝店を出店する形式をとっていたようです。五里四方に人が住んでいるならそこにはビジネスチャンスがあると考えていたとか・・・ そんな近江商人も地元近江を一歩出れば所詮よそ者。ですから、その活動地域のお客様以外の人々とも対立せず、融和し、暖かく受け入れられることが大切だと考えていたわけです。今風に言うならば、企業の社会的責任、地域的なCSRともいえます。

話が横道にそれますが、このCSR、日本では利益を目的としない慈善事業(寄付など)と誤解・誤訳されることが多いようです。しかし本来は、企業が利益を追求するだけでなく、組織活動が社会へ与える影響に責任をもち、あらゆるステークホルダー(利害関係者:消費者、投資家、さらには社会全体)からの要求に対して適切な意思決定をすることを指ます。ひょっとしますと、近江商人の「世間良し」こそこのCSRの先駆けかも知れません。

さて、現在も活躍する大手百貨店や商社、紡績会社など、近江商人の流れを汲むとされる大企業は多数存在しますが、これら近江商人が繁栄している理由は、このほかにもありました。あれこれ記述し始めると長編のブログになりそうですので、その中から「三方良し」を最上段に展開されていた「家訓」について。ちなみに近江では現在でも「家訓」を大切にしており、新しい幸せな家庭を築くべく、夫婦が結婚式場の勧めで家訓づくりにいそしむそうです。血は争えないといったところでしょうか。

さて本題に戻りましょう。あれこれ調べてみますと、近江商人「商売の十訓」と言うものが存在することが分かりました。

1  商売は世のため、人のための奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
2  店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
3  売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
4  資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
5  無理に売るな、客の好むものも売るな、客のためになるものを売れ
6  良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに善なり
7  紙一枚でも景品はお客を喜ばせる、つけてあげるもののないとき笑顔を景品にせよ
8  正札を守れ、値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ
9  今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、寝につかぬ習慣にせよ
10 商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ

現在置かれている状況、課題などによって、心に響く、または重みがあると感ずる家訓は人それぞれだと思います。小生も経営者の端くれ。小社の現況から考えますに、すとんと心に落ちたのはズバリ5の訓。「無理に売るな、客の好むものも売るな、客のためになるものを売れ」は簡単なようでなかなか難しいこと。利益を上げようとするとついつい無理に売ってしまいますし、油断すると楽をして客の好むものを売ってしまいがちです。しかしながら商売の本道は、客のためになるものを売ること。買い手が最も喜ぶのが「客のためになるものを売る」ことだからですね。表現方法、見方を変えるならば、最も付加価値が高くなる選択、最も儲かる選択が「客のためになるものを売る」ことにもなります。

たった一行ですが、実に奥が深い・・・ 恐るべし近江商人! 近江商人の歴史についてもっと調べてみたくなりました。またいつか、続編にチャレンジしてみることにします。乞うご期待!!


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大相撲、このままでは空中分解の可能性も
前回のブログでも述べましたが、今の相撲界にとって最も大切なことは、大相撲とはいったい何なのか、その方向性をしっかり決めて、不必要な過去と守るべき伝統を整理し、それを国民に公開して改革すること。プロレスであれば八百長が問題視されることなど無いわけですから、レスラーも八百長疑惑でクビにならないはず。八百長だと分かっていても、大男が組み合い、背中を激しくマットに打ち付けられる迫力を楽しむ多くのプロレスファンは存在するのです。今回の八百長問題も、力士の個人的な問題として責任が追及されていますが、そもそも相撲界全体が「大相撲の位置づけ」を意図的(?)にあやふやにしていたから起こった問題であり、その責任を力士個人に押し付けるのは理不尽なのではないでしょうか。

プロレスの類、「興行」的の側面があったからこそ、力士間では八百長が横行していたのです。またある時は、純粋な「競技」であると嘯きながらも、守り続ける必要の無い巨大なピラミッド型の階層や待遇格差(十両と幕下)を維持したことが、八百長発生の温床となったことも否定できないでしょう。さらには伝統ある「神事」だったことを巧みに利用し、国技のための国技館だと主張し、神事だから、国技だからこそと公益法人たる地位を確保していた。まさに今回の騒動、力士の個人的な問題ではなく、相撲界全体の問題なのです。

また、現在の八百長犯探しはとんでもない結果を招く可能性があります。相撲協会が考えているほど現実は甘くは無いはず。板井という四股名の力士がいましたが、彼は引退後に(確か外人記者クラブで)、「横綱時代の千代の富士ですら対戦相手から勝星を買っていた」と証言しているのです。犯人探しをしている放駒理事長、あなたの隣の席の理事も危ないのでは? ひょっとするととあなたも一度や二度はあるのでは… 恐らくこれまで大相撲の実態を、そんな風に捉えている国民は少なくないはずです。

それでも一定の人気を維持していた大相撲、日本国民は本当に大相撲が好きなのです。改革の方法を間違えなければ、今後も維持・発展することは可能なはず。このまま八百長の犯人探しを続けていては、芋づる式は目に見えています。「元魁傑(カイケツ)の放駒理事長が問題が解決(カイケツ)したものの、幕内力士は半減していた」なんてことも充分考えられるでしょう。まさに大相撲崩壊の危機に直面しているかもしれないのです。

相撲協会は、今すぐ大相撲が「興行」的な側面を持っていたことを認め、八百長問題の責任を力士個人に押しつけず、この問題を解決しなければなりません。これぞまさしく魁傑の役割。このまま突っ走ると、伝統ある大相撲がついには空中分解してしまうのではないか、一相撲ファンとして小生は心配です。もう一度言います、八百長の犯人探しは、即刻やめるべきです!


「競技」か「神事」か「興行」か
相撲界が大激震! 小沢氏の強制起訴や名古屋のトリプル選挙を押しのけて、巷は大相撲の八百長メール問題で騒然。ワイドショーはもちろんのこと、報道番組でも累計放送時間は断トツのトップでしょう。しかし、相撲界の実態はどうであれ、放送時間が長いのは視聴率が取れるから。視聴率が取れるのは、それだけ国民の関心度が高いということですから、日本国民は本当に相撲が好きなのです。伝統ある大相撲を存続させるべく、小生の考えを述べてみたいと思います。

生き残りを賭けて、おそらく断腸の思いで春場所巡業を断念した相撲協会。問題を収束させられなければ次の夏場所の開催も断念することで一致したそうで、いよいよ(遅すぎたかもしれませんが…)本格的なメスが入るようです。すべての取組みに、まじめに(ガチンコで)臨んでいた力士がどれくらいいたのか、小生には知る由もありませんが、相撲協会は本格的なメスを入れる前に、最も大切なことを決めておくべきだと考えます。最も大切なこととは… それはすなわち「大相撲」とは何なのか。選択肢は大別して三つあるのではないでしょうか。

①純粋な競技、スポーツである
この場合、もちろん個人競技なので部屋制は廃止。部屋はジム、親方はコーチとかトレーナーとか。また、格闘技なので一場所15日制など不可能、力士の体が持たない。十両と幕下の待遇格差も極端過ぎる。他のスポーツを参考にして、この際あらゆる面を見直す必要あり。
②神事である
大相撲の歴史を良く学び、神事としての相撲に立ち返る。宗教色が色濃く出る可能性も有るので、この場合も公益法人として認められるかどうかは疑問。営利追及は御法度となり、相撲界の規模縮小は避けられない。大相撲ファンも多いお国柄。事実上は選択肢とならないかも。国技と言う表現は、①と②の中間的な存在として、良い所取りで大相撲を捉えたもの。
③興行、すなわちプロレス(ショー)の類
八百長はあって当たり前。プロレスに八百長問題など起こりえない。もちろんそれが賭博の対象になっているとしたら、①であろうと③であろうと由々しき問題。この選択肢を小生は賛成しない。

現在の相撲界は、すべての力士、部屋がとは決して言いませんが、この三つの選択肢を巧妙に活用し、肥大化してきたのではないでしょうか。おそらく私腹を肥やしてきた輩も少なくないはずです。とにかく中途半端な位置づけがよろしくない、小生はそう思います。放駒親方がいくら粛正を叫ぼうとも、同じ過ちを繰り返すことになるはず。また、そんな曖昧な位置づけである相撲界を巧に利用して来たのが、反社会的勢力(暴力団)であるとしたら、改革に躊躇は禁物です。

実際には「興行」的な側面もありながら、いかにも「競技」であるかのように装いつつも、「神事」であると主張する。いつまでも良い所取りを続けていると、ついには国民も愛想を尽かすでしょう。「興行」的な側面を廃絶し、「神事」であった過去は認めつつも、現代の大相撲としては徹底的に「競技」化する。生き残るには、そして発展するにはこの選択しか考えられません。一相撲ファンとしてもう一度言います、日本の大相撲は①で生き残り、更なる繁栄を目指すべきです。


炊飯用の土鍋、お勧めです!
皆さんもご存知の通り、昨年のお米は出来が余りよくなかった模様。農業には縁が無い小生。いい加減なことを言うと農家の皆さんにお叱りを受けそうですが、昨年の夏は非常に厳しい暑さが続きました。もともと、熱帯や亜熱帯の植物だった米を温帯(北海道)でも充分に収穫できるよう改良したのは日本人の知恵ですが、その日本が温帯から亜熱帯に。おそらく人間同様、改良された日本の(温帯仕様の)米にとっても、厳しい夏だったのでしょう。

出来栄えにもばらつきがあるはずですので、皆さんどう感じていらっしゃるか知る由もありませんが、我が家では総体的に昨年の新米の評判があまり良くありませんでした。炊き立てでも適度な水分、みずみずしさや粘りがあまり無く、新米を食した瞬間のあの感動がないのです。そこで、やや水を多めにするなどして一工夫。一定の改善は感じられますが、やはりイマイチの印象は拭いきれませんでした。

そこで思いついたのがこの作戦。思い切って炊飯方法を変えてみようと思い立ち、迷わずホームセンターへ。タイトルにある通り炊飯用の土鍋を購入し、ガスレンジで炊いてみました。画像は参考に掲載、小生が購入したものではありませんが、外見はまさにこんな感じの調理器具です。画像では確認できませんが、写っている蓋の下にもう一枚蓋があります。価格は1,000円~2,000円だったでしょうか。webで調べるとかなり高価な商品も販売されているようですが…
炊飯用土鍋

炊飯方法はいたって簡単。添付の説明書の通りに湯気が出始めるまでは中火、湯気が出始めたら弱火に(時間は忘れましたが10分だったかな?)。火を消したらまたまた指定の時間通り「蒸らし」を行います。まさに「赤子泣いても蓋取るな」、古来から伝わる炊飯方法とよく似ています。

いよいよ炊き上がり。期待と不安が交錯するとはまさにこのこと。恐る恐る二枚の蓋を開けてみました。開けた瞬間、立ち上がる湯気と広がる炊立てご飯の香り、一粒一粒が艶々です。しゃもじでかき混ぜたところ、焦げ付きや炊き上がりのムラも無く上々。さらに食してみてビックリ。適度な粘りがあり、ご飯の甘みが口の中いっぱいに広がります。この時期になって、ようやく新米を食べたあの感動を味わうことが出来ました。

既にこれまで10回ほど使用していますが、失敗は一度もなし。誰でも簡単に使用できるはずです。新米の感動をあなたにも。ぜひお試しあれ。




プロフィール

証券人(しょうけんびと)

Author:証券人(しょうけんびと)
約13年間の大和証券勤務を経て、1998年1月松阪証券に入社
2006年4月代表取締役社長就任
現在に至る



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