松阪証券 社長日記
企業人として、三重県で生業を営む者として、日々の発見、気づきなどを気まぐれに書きとめて行きます。
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今年も参加 フリーマーケット
10月17日(日)、松阪市上川町のワークセンター松阪で開催されたワークセンターフェスティバルに、小社の地域社会貢献チームが参加、フリーマーケットを出店しました。出店は今年で4回目。今年も出店料を除いた売上金全額2万6,620円を、社会福祉に役立ててもらうため、松阪市に寄付しました。

毎年会場は目の肥えた(?)主婦や家族連れで大盛況。今年も手強い「おばちゃん」の値引き交渉に手を焼きながら、そして「おばちゃん」たちとのコミュニケーションを楽しみながら、「もってけ泥棒」の精神でもちろん完売! 周りのフリーマーケットは多くの商品を残していましたが、当店はわずか2時間ほどで閉店と相成りました。「おばちゃん」たちが鋭い目を輝かせ、獲物を狙う猛獣のように見えたのは、小生だけではないでしょう。

社会貢献チームは、「毎年少額の寄付しか出来ませんが、可能な限り続けて行きたい」とのこと。毎年毎年、商品集めや値札付けなど、出店準備は大変そうですが、「おばちゃん」たちとの攻防を楽しみつつ、地域社会に貢献できる、手前味噌ですがすばらしい活動です。故大沢親分流に言うなれば、まさに「アッパレ」だ!

小生も毎年販売員として参加させてもらっています。もちろん、来年もがんばります!


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ご存知ですか「賓日館」 二見町の隠れた名所です!
先週末の金曜~土曜日(10/15~16)、東海四県(愛知・静岡・岐阜・三重)同業者団体の総会が三重県で開催されました、今年は三重県が幹事でしたので、企画や準備、当日の案内など、何かと忙しく、それでいて楽しい2日間を過ごしました。

総会の会場は榊原温泉。大切な(?)会議終了後は、「美人の湯」として名高い天然温泉を満喫していただき、お決まりの宴会へ。とどめは二次会、夜食のラーメンで一同大満足。翌朝も食事の前に入浴し、翌16日はチャーターしておいた観光バスで一路「お伊勢さん」へ。伊勢神宮では団体参拝のお決まりコース、神楽殿での奉納御祈祷、御垣内での特別参拝。証券会社の団体ですので、全員が株式市場の活況を祈願したこと、疑う余地はないでしょう。そうそう、神楽殿の通路にて、プロゴルファーの丸ちゃんこと丸山茂樹に遭遇。確認していませんが、恐らく日本オープンを予選落ちした心の傷を癒すための参拝だったのでしょう。

私たちも一連の参拝を済ませ、次は二見が浦に移動して昼食。アワビのお造りやサザエの壷焼き、ひおおぎ貝、わたりガニなど海の幸を満喫し、ほろ酔い気分で夫婦岩を見学。ここでは全参加者が、夫婦円満を祈願したものと思われます。

ここまでは、一般的によく知られた伊勢路のお決まり観光コースです。しかし、この後が今回のブログで紹介する「賓日館」の見学です。これは「賓日館」入り口の門と表玄関です。入館料は大人300円です。
入口

画像が小さすぎてはっきり読めませんが…
案内板
賓日館は明治20年(1887)、伊勢神宮の賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・財団法人神苑会(しんえんかい)により建設されました。命名者は神苑会総裁・有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)です。そして明治44年(1911)2月には隣接する二見館に払い下げられ、二見館別館として平成11年(1999)まで使用されてきましたが、二見館休業に伴い二見町に寄贈されました。賓日館は、明治末期から大正初年にかけてと、昭和5年(1930)から同11年(1936)にかけての2回、大増改築がなされています。当代一流の建築家による品格ある洗練されたデザインと、選び抜かれた国産の材料やそれに応える職人の技など、建築学的見地からだけでなく、二見町の近代史を語る上でも、欠くことのできない大変重要な文化財と言えます。
賓日館公式ホームページはこちら

大広間正面
これは120畳の大広間。梁や柱がない、日本一の大広間だそうです。舞台は能舞台としての数々の音響上の配慮がなされ、舞台背景の絵は中村左洲の「老松」。舞台対面にある床の間或は違い棚或は廊下には最高級の国産材(屋久杉)が使われています。この屋久杉、現在では天然記念物ですので、建築材として使用することは出来ません。

賓日館公式ホームページより
折上格天井
大広間の天井は、桃山式の折上格天井(ごうてんじょう)が特徴です。格縁と呼ばれる部材で格子をつくり、格子の間に正方形の板を張った天井を格天井というそうです。桃山時代に流行した形式なので桃山式天井とも言われています。

これは御殿の間の天井です。
二重格天井
御殿の間は明治20年(1887)創建当時のまま残されています。ここには創建以来、歴代の皇族方がご休憩・ご宿泊されています。御殿の間最大の特徴は、この珍しい二重格天井(にじゅうごうてんじょう)です。

これ以外にも随所に日本建築の美しさを発見できます。賓日館の良さは見る人によって大きく異なると思いますが、この大広間、明り取り障子の装飾もすばらしい。明治から昭和初期の頃の日本の建築技術の確かさ、美意識の高さを感じます。
室内装飾

そのほかにも、寄木細工の施された床、庭には京都の鞍馬石、今ではつくる技術のないガラス窓など、様々な建材が使用されていて、実に趣き深い建物です。この資料館がとても素晴らしいのは、古きよき時代の、非常に価値の高い現物に触れることが出来る点です。あなたも明治にタイムスリップしてみては如何でしょう。


山中正竹さんが、松阪に来ました
先週末、知る人ぞ知る、野球ファンなら誰でも知っている、東京六大学リーグ最多勝記録(48勝)保持者、山中正竹氏のお話を聴くことが出来ました。山中正竹しについて少々…

山中正竹氏は大分県出身。大分県立佐伯鶴城高等学校を卒業後、法政大学に進学し1年次よりエースピッチャーとして活躍。一年先輩の田淵幸一、山本浩司、富田勝ら「法大三羽ガラス」と共に、東京六大学リーグにおける法政大学の黄金時代を形成する大きな原動力となりました。在学4年間で残した通算48勝は、六大学リーグの最多勝記録であり、歴代2位は同じ法政大学の後輩、江川卓の47勝です。

大学卒業後は住友金属工業に入社し、野球部の中心選手として活躍。1980年に現役を引退し、翌1981年から住友金属の監督に就任。また、ソウルオリンピック(1988年)では日本代表コーチとして、バルセロナオリンピック(1992年)では日本代表監督として、二度のメダル獲得に大きく貢献しています。

1994年に母校法政大学の監督に就任。退任する2002年までの間に、六大学リーグに7度、全日本大学野球選手権大会に1度優勝(1995年)するなど、指導者としても法政黄金時代を築き上げました。

2004年、横浜ベイスターズの専務取締役に就任。2006年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の技術委員を務めましたが、2007年プロ野球ドラフト会議にまつわる球団内の一連の問題の責任を取り、専務から常務に降格。2009年で球団の方針により横浜ベイスターズ常務取締役を退任、そのまま退団し、現在は母校法政大学の特任教授です。

少人数の懇談会形式でお話をお聞きすることが出来たため、まずは名刺交換から。もちろん初対面ですが、印象は「六大学の大投手は、こんなに小さい人だったの?」という感じ。身長は、170cmに満たないそうです。しかし、無駄な贅肉はないながら、骨格はがっしりしているご様子。スーツを着用されていたので、小生の勝手な想像ですが…

前置きがかなり長くなってしまいました。懇談会の演題は「私の野球監督論」です。山中氏によると、戦後の日本の野球界は、選手の技術、トレーニング方法、メンタリティの面など、飛躍的に進歩してきましたが、最も遅れているのが「監督」だとのこと。よく言われていることですが、名選手が必ずしも名監督とはならないとも。

また、その説明のために興味深い例をあげ、説明いただきました。まずは監督の服装。オリンピックの球技は26~27種目ありますが、監督が選手と同じユニホームを着用する競技は野球だけだそうです。これは、野球の監督が選手と同等に、勝敗を決める重要な戦力だということの証だそうです。特に1点差、2点差の試合ではその重要度が高まると、強調されていました。

また、アテネオリンピック直前に長嶋監督が病気で倒れたとき、監督をどうするか問題になりました。結局病床にある長嶋監督のままで試合に臨んだわけですが、このオリンピックで日本はオーストラリアに0対1で敗れました。山中氏によると、これこそまさしく日本の遅れた監督論だと。もちろん山中氏は、監督を長嶋氏以外の誰かに変更し戦うべきだと主張しましたが、聞き入れられなかったそうです。また、これはサッカーで言うなら11人対6~7人で戦ったようなものだともおっしゃっていました。

米国などでは、遅れた日本とは異なり、「リーダーシップとしっかりした野球理論があれば、選手としての実績は不要」というのが既に主流となっています。実際に、MLBの30球団中20球団の監督は、日本で監督になれない(選手としての実績はないけれど、監督としての適性の高い)監督だそうです。

今の監督の顔ぶれを思い浮かべてみると、日本のプロ野球はまだまだですね。しかし考え方を変えれば、日本のプロ野球はまだまだ進化する、伸びしろがあるということでしょうか… 一野球ファンとして、大いに考えさせられる懇談会でした。

そうそう、地元紙の記者さんも懇談会に出席していたので、記念撮影してもらいました。ファイルが入手できたら、ブログで公開します。単なる自己満足ですが…


三代目もメタボぎみ?
北朝鮮の総書記後継者、金正日(ジョンイル)の三男、ジョンウン氏の写真がいよいよ公開されました。祖父の金日成から孫のジョンウン氏に続く世襲三代目。経済危機に直面する北朝鮮ですので、ジョンウン氏にとってこれからの人生は、間違いなくいばらの道と成るでしょう。世襲二代の歴史を簡単に振り返ると、祖父である金日成が残した負の遺産を解消すべく権力を継承したのが金正日。ところがその人は、負の遺産を解消するどころか雪ダルマ式に増やしてしまいました。そして今、北朝鮮は存亡の危機に直面していると言っても過言ではないでしょう。

果たしてジョンウン氏への権限委譲は順調に進むのか。ジョンウン氏は北朝鮮労働党幹部や軍を完全に掌握しているのか。体制の異なる隣国、北朝鮮のことですので非常に気になります。

これはジョンウン氏の青年期の写真です。
ジョンウン氏(留学時代)

そしてこれが昨日公開されたジョンウン大将の写真。
ジョンウン大将

大将に就任したジョンウン氏の写真を見て感想を一言。これまでは、上に掲載したようなスイス(?だったと思います)留学時代など、青年期の写真しか公開されたいませんでしたが、昨日TVでみた写真や映像では、青年時代のそれと同一人物なのかどうか、少なくとも小生には判定できませんでした。恐らく皆さんもそうだと思いますが、ジョンウン氏は早くも「メタボリック症候群」のようです。経済危機に直面し、多くの人民が飢餓に苦しむ今。総書記就任前から、父である金日成と同じようなこと(無謀な政治と食事)ばかりしているようでは、北朝鮮の行く末に、明るい未来は見えてこないかもしれませんね。まずはダイエットからはじめることをお勧めします!




プロフィール

証券人(しょうけんびと)

Author:証券人(しょうけんびと)
約13年間の大和証券勤務を経て、1998年1月松阪証券に入社
2006年4月代表取締役社長就任
現在に至る



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